あまの はら 百人一首。 小倉百人一首:歴史的仮名遣い教室

百人一首(ひゃくにんいっしゅ)

あまの はら 百人一首

三十年近くの滞在の後、仲麻呂が五十一歳の時、宗皇帝に帰国を願い出て帰路に着きましたが、その途中で嵐にあい安南に辿り着きました。 唐の玄宗皇帝に厚遇されて官僚として王宮に勤めていたのだが、次第に安倍仲麻呂は日本に対する望郷の念が強まっていく。 安禄山は節度使を3つも兼任するほどの実力者でしたが、楊国忠との権力争いにやぶれ、 史思明 ししめい とともに兵を挙げます。 新百人一首(しんひゃくにんいっしゅ)は、第9代将軍撰による私撰和歌集。 「袖でさえ」 という意味になります。 『異国(唐)の地の月』と 『故郷(日本)の春日の月』とが同じものであるというイマジネーションを働かせることで、安倍仲麻呂の非常に強い望郷の念、帰国の悲願の思いがしみじみと伝わってくる歌である。 大化 たいか 元年 645 ~大宝 たいほう 2年 702。

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百人一首一覧、百人一首一覧表(かな)

あまの はら 百人一首

新百人一首の歌人・一覧 [ ]• なみだ河身もうくばかりながるれどきえぬはひとのおもひ也けり 〔新古今〕•。 てんじてんのう の第二皇女。 われならぬくさばもゝのは思ひけり袖よりほかにおける白つゆ 〔後撰〕• (藤原公実) 思ひあまりいかでもらさむ奧山の岩かきこむるたにのした水 〔金葉〕• 唐で戦乱がつづき、情勢が不安定になったことが原因です。 歌番 歌人 上の句 下の句 天智天皇 あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ 持統天皇 はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま 柿本人麻呂 あしびきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ 山部赤人 たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ 猿丸大夫 おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき 大伴家持 中納言家持 かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける 阿倍仲麻呂 あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも 喜撰 喜撰法師 わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり 小野小町 はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに 蝉丸 これやこの いくもかへるもわかれては しるもしらぬも あふさかのせき 小野篁 参議篁 わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね 遍昭 僧正遍昭 あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ 陽成天皇 陽成院 つくばねの みねよりおつる みなのがは こひぞつもりて ふちとなりぬる 源融 河原左大臣 みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに みだれそめにし われならなくに 光孝天皇 きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ 在原行平 中納言行平 たちわかれ いなばのやまの みねにおふる まつとしきかば いまかへりこむ 在原業平 在原業平朝臣 ちはやぶる かみよもきかず たつたがは からくれなゐに みづくくるとは 藤原敏行 藤原敏行朝臣 すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ 伊勢 なにはがた みじかきあしの ふしのまも あはでこのよを すぐしてよとや 元良親王 わびぬれば いまはたおなじ なにはなる みをつくしても あはむとぞおもふ 素性 素性法師 いまこむと いひしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな 文屋康秀 ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ 大江千里 つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど 菅原道真 菅家 このたびは ぬさもとりあへず たむけやま もみぢのにしき かみのまにまに 藤原定方 三条右大臣 なにしおはば あふさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな 藤原忠平 貞信公 をぐらやま みねのもみぢば こころあらば いまひとたびの みゆきまたなむ 藤原兼輔 中納言兼輔 みかのはら わきてながるる いづみがは いつみきとてか こひしかるらむ 源宗于 源宗于朝臣 やまざとは ふゆぞさびしさ まさりける ひとめもくさも かれぬとおもへば 凡河内躬恒 こころあてに をらばやをらむ はつしもの おきまどはせる しらぎくのはな 壬生忠岑 ありあけの つれなくみえし わかれより あかつきばかり うきものはなし 坂上是則 あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき 春道列樹 やまがはに かぜのかけたる しがらみは ながれもあへぬ もみぢなりけり 紀友則 ひさかたの ひかりのどけき はるのひに しづこころなく はなのちるらむ 藤原興風 たれをかも しるひとにせむ たかさごの まつもむかしの ともならなくに 紀貫之 ひとはいさ こころもしらず ふるさとは はなぞむかしの かににほひける 清原深養父 なつのよは まだよひながら あけぬるを くものいづこに つきやどるらむ 文屋朝康 しらつゆに かぜのふきしく あきののは つらぬきとめぬ たまぞちりける 右近 わすらるる みをばおもはず ちかひてし ひとのいのちの をしくもあるかな 源等 参議等 あさぢふの をののしのはら しのぶれど あまりてなどか ひとのこひしき 平兼盛 しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと ひとのとふまで 壬生忠見 こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか 清原元輔 ちぎりきな かたみにそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこさじとは 藤原敦忠 権中納言敦忠 あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり 藤原朝忠 中納言朝忠 あふことの たえてしなくは なかなかに ひとをもみをも うらみざらまし 藤原伊尹 謙徳公 あはれとも いふべきひとは おもほえで みのいたづらに なりぬべきかな 曽禰好忠 ゆらのとを わたるふなびと かぢをたえ ゆくへもしらぬ こひのみちかな 恵慶 恵慶法師 やへむぐら しげれるやどの さびしきに ひとこそみえね あきはきにけり 源重之 かぜをいたみ いはうつなみの おのれのみ くだけてものを おもふころかな 大中臣能宣 大中臣能宣朝臣 みかきもり ゑじのたくひの よるはもえ ひるはきえつつ ものをこそおもへ 藤原義孝 きみがため をしからざりし いのちさへ ながくもがなと おもひけるかな 藤原実方 藤原実方朝臣 かくとだに えやはいぶきの さしもぐさ さしもしらじな もゆるおもひを 藤原道信 藤原道信朝臣 あけぬれば くるるものとは しりながら なほうらめしき あさぼらけかな 藤原道綱母 右大将道綱母 なげきつつ ひとりねるよの あくるまは いかにひさしき ものとかはしる 高階貴子 儀同三司母 わすれじの ゆくすゑまでは かたければ けふをかぎりの いのちともがな 藤原公任 大納言公任 たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なほきこえけれ 和泉式部 あらざらむ このよのほかの おもひでに いまひとたびの あふこともがな 紫式部 めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし よはのつきかな 大弐三位 ありまやま ゐなのささはら かぜふけば いでそよひとを わすれやはする 赤染衛門 やすらはで ねなましものを さよふけて かたぶくまでの つきをみしかな 小式部内侍 おほえやま いくののみちの とほければ まだふみもみず あまのはしだて 伊勢大輔 いにしへの ならのみやこの やへざくら けふここのへに にほひぬるかな 清少納言 よをこめて とりのそらねは はかるとも よにあふさかの せきはゆるさじ 藤原道雅 左京大夫道雅 いまはただ おもひたえなむ とばかりを ひとづてならで いふよしもがな 藤原定頼 権中納言定頼 あさぼらけ うぢのかはぎり たえだえに あらはれわたる せぜのあじろぎ 相模 うらみわび ほさぬそでだに あるものを こひにくちなむ なこそをしけれ 行尊 大僧正行尊 もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし 周防内侍 はるのよの ゆめばかりなる たまくらに かひなくたたむ なこそをしけれ 三条天皇 三条院 こころにも あらでうきよに ながらへば こひしかるべき よはのつきかな 能因 能因法師 あらしふく みむろのやまの もみぢばは たつたのかはの にしきなりけり 良暹 良暹法師 さびしさに やどをたちいでて ながむれば いづこもおなじ あきのゆふぐれ 源経信 大納言経信 ゆふされば かどたのいなば おとづれて あしのまろやに あきかぜぞふく 祐子内親王家紀伊 おとにきく たかしのはまの あだなみは かけじやそでの ぬれもこそすれ 大江匡房 権中納言匡房 たかさごの をのへのさくら さきにけり とやまのかすみ たたずもあらなむ 源俊頼 源俊頼朝臣 うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを 藤原基俊 ちぎりおきし させもがつゆを いのちにて あはれことしの あきもいぬめり 藤原忠通 法性寺入道前関白太政大臣 わたのはら こぎいでてみれば ひさかたの くもゐにまがふ おきつしらなみ 崇徳天皇 崇徳院 せをはやみ いはにせかるる たきがはの われてもすゑに あはむとぞおもふ 源兼昌 あはぢしま かよふちどりの なくこゑに いくよねざめぬ すまのせきもり 藤原顕輔 左京大夫顕輔 あきかぜに たなびくくもの たえまより もれいづるつきの かげのさやけさ 待賢門院堀河 ながからむ こころもしらず くろかみの みだれてけさは ものをこそおもへ 徳大寺実定 後徳大寺左大臣 ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる 藤原敦頼 道因法師 おもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり 藤原俊成 皇太后宮大夫俊成 よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる 藤原清輔 藤原清輔朝臣 ながらへば またこのごろや しのばれむ うしとみしよぞ いまはこひしき 俊恵 俊恵法師 よもすがら ものおもふころは あけやらで ねやのひまさへ つれなかりけり 西行 西行法師 なげけとて つきやはものを おもはする かこちがほなる わがなみだかな 寂蓮 寂蓮法師 むらさめの つゆもまだひぬ まきのはに きりたちのぼる あきのゆふぐれ 皇嘉門院別当 なにはえの あしのかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや こひわたるべき 式子内親王 たまのをよ たえなばたえね ながらへば しのぶることの よわりもぞする 殷富門院大輔 みせばやな をじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかはらず 九条良経 後京極摂政前太政大臣 きりぎりす なくやしもよの さむしろに ころもかたしき ひとりかもねむ 二条院讃岐 わがそでは しほひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし 源実朝 鎌倉右大臣 よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも 飛鳥井雅経 参議雅経 みよしのの やまのあきかぜ さよふけて ふるさとさむく ころもうつなり 慈円 前大僧正慈円 おほけなく うきよのたみに おほふかな わがたつそまに すみぞめのそで 西園寺公経 入道前太政大臣 はなさそふ あらしのにはの ゆきならで ふりゆくものは わがみなりけり 藤原定家 権中納言定家 こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに やくやもしほの みもこがれつつ 藤原家隆 従二位 従二位家隆 かぜそよぐ ならのをがはの ゆふぐれは みそぎぞなつの しるしなりける 後鳥羽天皇 後鳥羽院 ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは 順徳天皇 順徳院 ももしきや ふるきのきばの しのぶにも なほあまりある むかしなりけり. 「小倉山荘」というのは、京都の小倉山にあった武将・歌人である宇都宮頼綱の別荘のこと。 契おきし人もこずゑの木のまよりたのめぬ月のかげぞもり來る 〔金葉〕• 小倉山は渡月橋(とげつきょう)で 有名な京都の嵐山の近くにある山。 三笠の山 春日神社後方の若草山と高円山との間にある山。

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百人一首の意味と文法解説(6)かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを見れば夜ぞふけにける┃大伴家持

あまの はら 百人一首

「我がためと七夕(たなばた)つ妻(め)のそのやどに織(お)る白栲(しろたへ)は織(お)りてけむかも」(万葉集・巻十)は「布」そのものをよんだ例である。 ここは「海女」か。 この歌の原歌は『古今和歌集 羇旅(きりょ)』に収載されている406番であり、その長歌の解説には『遣唐使と共に帰国しようとした安倍仲麻呂が、唐の人々から明州の海辺で惜別の宴を開いてもらい、そこで夜になって上がってきた月を見て詠んだ歌』として紹介されている。 読み よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのをぶねの つなでかなしも 季節 - 現代意訳 この世の中は、いつまでも変わらないでいてほしいものだ。 玄宗皇帝に仕え、李白や王維らの著名人と交際し、文名が高かったと伝えられています。 秋はきぬとしもなかばに過ぬとやをぎふく風のおどろかすらむ 〔千載〕• 中国や朝鮮半島には多いが、わが国では九州地方に時々飛来するだけである。 (源国信) 春日のゝしたもえわたるくさのうへにつれなくみゆるはるのあわ雪 〔新古今〕• また、79首目の歌はの歌となっているが、実際にはの歌である。

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百人一首/鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)

あまの はら 百人一首

玄宗の時代に対処しなければならない一番の問題は異民族でした。 終止形や係り結びがあるところで、和歌の意味の切れ目となる場合が多いです。 「宮中の御橋 みはし 」とする。 里のあまのかりそめなりしちぎりよりやがてみるめのたよりをぞとふ 〔新後撰〕• 傭兵とはお金で兵士を雇うことです。 百人一首に採られた100首には、1番の天智天皇の歌から100番の順徳院の歌まで、各歌に歌番号(和歌番号)が付されている。 英訳 When I look up at The wide-stretched plain of heaven, Is the moon the same That rose on Mount Mikasa In the land of Kasuga? 歸來むほどをやひとにちぎらまししのばれぬべきわが身なりせば 〔新古今〕• 語句語法 天の原 大空。

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小倉百人一首

あまの はら 百人一首

(宇多天皇) 立かへりちどりなくなりはまゆふのこゝろへだてゝおもふものかは 〔新拾遺〕• 「原」は大きく広がっている様子を表す。 この一覧では、この「決まり字」を 赤字で表示します。 (藤原顕季) しぐれつゝかつちる山のもみぢ葉をいかにふくよのあらしなるらむ 〔金葉〕• (九条道家) 神代よりみちある國につかへけるちぎりもたえぬせきの藤かは 〔風雅〕• 木の葉ちる宿は聞わくかたぞなきしぐれするよもしぐれせぬ夜も 〔後拾遺〕• 古今集の選者の一人 36.夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを 雲のいづくに 月宿るらむ (なつのよは まだよひながら あけぬるを くものいづくに つきやどるらむ) 「古今集」 清原深養父 (きよはらのふかやぶ) = 「日本書記」編者の 舎人親王 (とねりしんのう) の子孫 37.白露に 風の吹きしく 秋の野は つらぬきとめぬ 玉ぞ散りける (しらつゆに かぜのふきしく あきののは つらぬきとめぬ たまぞちりける) 「古今集」 文屋朝康 (ふんやのあさやす) = の子 38.忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな (わすらるる みをばおもはず ちかひてし ひとのいのちの おしくもあるかな) 「拾遺集」 右近(うこん) 女流歌人 39.浅茅生の 小野の篠原 忍ぶれど あまりてなどか 人の恋しき (あさぢふの をののしのはら しのぶれど あまりてなどか ひとのこひしき) 「後撰集」 参議等(さんぎひとし) 880~951 源希(まれ)の次男 40.忍ぶれど 色に出でにけり 我が恋は 物や思ふと 人の問ふまで (しのぶれど いろにいでにけり わがこひは ものやおもふと ひとのとふまで) 「拾遺集」 平兼盛 (たいらのかねもり) ~990 村上天皇の歌合せ会での 優勝者 __________________ 41.恋すてふ 我が名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか (こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか) 「拾遺集」 壬生忠見(みぶのただみ) = の子 村上天皇の歌合せ会での 準優勝者 42.契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは (ちぎりきな かなみにそでを しぼりつつ すゑのまつやま なみこさじとは) 「後拾遺集」 清原元輔 (きよはらのもとすけ) 908~990 = の孫 = の父) 43.逢ひ見ての 後の心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり (あひみての のちのこころに くらぶれば むかしはものを おもはざりけり) 「拾遺集」 権中納言敦忠 (ごんちゅうなごんあつただ) 906~943 = 藤原時平の三男 = と親交 44.逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし (あふことの たえてしなくは なかなかに ひとをもみをも うらみざらまし) 「拾遺集」 中納言朝忠 (ちゅうなごんあさただ) 910~966 太っていた。 辛い恋で泣き続ける女性の激情を詠った一首ですが、あたかも重 之と時代を超えて歌で恋の問答をしているようですね。 首都 長安 ちょうあん (現在の西安)は、東西対称の碁盤の目のような区画で街が作られており、そのほかの東アジアの国々の首都のモデルになりました。

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百人一首/鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)

あまの はら 百人一首

(紀長谷雄) わがためは見るかひもなしわすれぐさわするばかりのこひにしあらねば 〔後撰〕• 天武天皇の皇后。 また発音上も当時は「ぢ」と「じ」は明らかに異なつてゐた。 長安は、まわりのさまざまな国々から留学生や商人がおとずれる国際都市でした。 「見せばやな雄島の海人(あま)の袖だにもぬれにぞぬれし色はかはらず」(千載集・恋四・殷富門院大輔、百人一首)などがその例である。 当時の遣唐使は、出発する前に春日神社後方にある三笠山で『長旅の安全・無事』を祈願する習慣があったという。

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新百人一首

あまの はら 百人一首

『新古今和歌集』がつくられた頃(1205年)には、「鵲の渡せる橋」を「階 きざはし 」に見立てる表現がすでにありました。 寝殿の階段の下に、たいまつをともしながらひざまずき、ごあいさつを申し上げる。 承久の乱で 佐渡ケ島に流される。 「上の句」は耳で聞いて「音」で判断せねばなりませんし、「下の句」は札を目で見て「文字」で判断せねばならないため、それに合わせた形にしています。 (藤原兼通) みのうさを思ひしりぬるものならばつらき心を何かうらみむ 〔続古今〕• これを4隻の船にわけます。 赤 は によるもの。 あきかぜにこゑをほにあげてくる舟はあまのとわたるかりにぞありける 〔古今〕• 陸前国、今の宮城県松島湾内の島。

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百人一首の意味と文法解説(90)見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色は変はらず┃殷富門院大輔

あまの はら 百人一首

大輔は、重之に答えて(返歌)「私の袖こそ見せたいものです。 たかまがはら。 そのまま帰国せず、唐でなくなった。 今のカチガラスという。 句の意味・現代語訳 原文 天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも 日本語訳 大空をふり仰いで遥か遠くを眺めると、今見ている月は、かつて奈良の春日にある三笠山の上に出ていた時と同じ月なのだなあ。 読み あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも 季節 - 現代意訳 広い空を振り仰いで眺めると、美しい月が出ているが、あの月はきっと故郷である春日の三笠の山に出た月と同じ月だろう。 廃止されたのは寛平 かんぴょう 6年 894。

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